FC2ブログ

NARUTOSTAR

WJ掲載の人気漫画『NARUTO-ナルト』について語るブログです。主に原作の感想、考察などを中心としています。最近はトリコ、バクマンなどにハマり、気になった漫画の感想もしています♪

休業のお知らせ

いつもNARUTOSTARへお越しいただきありがとうございます。

ナルトも佳境に入ってきて、いい感じで毎回ハラハラドキドキの展開なのですが、私用なのですが、これから一ヶ月ほど記事の掲載を休ませていただきます。コメントや拍手を入れていただいていつも嬉しく思っています。

また再掲載した時、その時も引き続きよろしくお願いします。


スポンサーサイト



その他 | コメント:3 | トラックバック:0 |

No.437:告白(ヒナタ編)

え~と珍しく2日連続で記事を書いております(笑)。前回の記事は今週の主人公とも言えるヒナタについて何も書いておりませんでした。今回はヒナタ一色でお送りしたいと思います(笑)。

あー、でもなんだか書く前に恥ずかしくなってきました。だってタイトルにもあるように恋愛系の告白について語らなければならないわけですよ(笑)。私のガチガチの苦手分野ではありますが、私がどのようにヒナタの姿を見て感じたかという、それこそ独りよがりですが、感想を赤裸々に述べていきたいと思います(ネット上だから言えるのだ!(笑))。


白眼の使えるヒナタにはナルトの捕えられている姿が目に映っておりました。このままではナルトくんは連れて行かれる。そこでヒナタは決心し、ナルトの援護に向かうことにしました。


ナルト:「何で出てきたんだってばよ!!早く逃げろ!お前じゃそいつには ―― 」
ヒナタ:「うん・・・。これは・・・私の独りよがり・・・」


「うん・・・。」。ヒナタにも自分が助けに行ったところで無謀なことだと分かっていました。それでもじっと、ただ見ているだけではもう耐えられない。ヒナタの飛び出しは、ペインに勝つとかナルトを救うとかそういった目的意識ではなく、これはもう理性を超えて感情だけで動き出したのだと思います。

いつぞやの探偵漫画にこんなセリフがあったことを思い出しました。


『訳なんているのかよ。人が人を殺す動機なんて、知ったこっちゃねーが・・
          人が人を助ける理由に論理的な思考は存在しねーだろ?』



人が人を助ける。これはもはや理屈ではない。それは人間に備わっている本能の一部なのです。

それに加えて、ヒナタのナルトへの想いは焦がれに焦がれたものでした。


いつもナルトくんを追いかけて・・・
ナルトくんに追いつきたくて・・・
いつだってナルトくんと一緒に歩きたくて・・・

いつもナルトくんのところへ・・・



いつもいつもナルトを見てきた。何度も何度もナルトから勇気をもらった。ヒナタの恋心は同時に感謝の気持ちでもあり、そして今度こそ自分の想いを伝えてみせる。内気なヒナタの革命とも言える決意はこの言葉にも現れています。


「私はナルトくんが ――― 好きだから」


非常に細かい話であり、私の一人相撲と言えばそうなのかもしれませんが、このには、ヒナタの心の底から叫び上がる想いが馳せられています。語調を考えた場合、「私はナルトくんが ――― 好きだから」と大をのけた方がさらりとしているのですが、ここはそうではないのです。

ナルトへの告白・・・。何でも告白というものは恥ずかしいものでもありますし、多少の躊躇いは付きものです。ヒナタの内気な性格はナルトへの想いをずっとヒナタの中に閉じ込めてきました。さらに今、こんな危険な戦場に出てきていてこれが今生の別れになる可能性は十分に高い。

それでも・・・。「私はナルトくんが ―― 」

この後少しの間合いをかけて、しかしその言葉は清々しく、すべてはこの一言を言うために・・・。


この大好きの大にはただ単にその大小比較が綴られているわけではない。ヒナタのナルトを想う底の深さ、決意、勇気、ナルトにかける希望と信頼。そして ―――



ナルトくんを好きになって自分は本当に良かった。


我が一生に悔いはなしと悟りの境地へ至り、そうですね、この時のヒナタはナルト以上の仙人(笑)になって(つまりまた一歩ナルトくんに近づいたわけですね!)その眼には無限に続くロードを宿しながらの、愛の告白だったのだと思いました。


原作の感想 | コメント:5 | トラックバック:0 |

No.437:告白

2週間ぶりに復帰!!おおっ~!久しぶりに月曜日に間に合った(笑)(←間に合っていません)

間に合ったはいいですが、ナルト本編の方は内容が深刻でどう感想したらいいものか考える余地もあります。ここは本編の空気を読んでちょと真剣に考えてみることにします。

「長門の歪んだ平和への執念・・・」とアオリが入っていますが、歪んでいるとは一概には言えない気はするんですよね。先週号も交えて考えていきます。


①長門:「お前はオレの平和を嘘っぱちだと言うが、この呪われた世界で
     人と人が分かり合う平和ほど虚構なものはない」

②ナルト:「エロ仙人は人が本当の意味で理解し合える時代が来ると信じてた!
      お前のは違うってばよ!!」

③長門:「口だけだな・・・答を示せないお前に何ができる?」


ここまでの口論ではやはり長門(ペイン)の方が一歩リードしているように思えます。ナルトは自分の、自来也の理念の矛盾に突き当たって対応できない状態なのです。一見ナルトの、自来也の言っていることで問題ない気がするのですが、実は②には誤魔化しがあります。それは「本当の意味で」というところです。

本当の意味・・・。これはどういうことを言っているのでしょう。相場は「皆が争うことのない平和」を意味しているのでしょうが、具体策を丸っきし出していない誤魔化し感が拭えないなのです。確かに抽象的な言葉で平和を掲げることは容易いことなのですが、では具体的にどうしたらいい?の問いに対する答は容易いことではありません。

長門は具体性の出せないその概念の弱点を突いているのです。そしてそれはナルトもなんとなくだが分かる。だからこそいつもの調子で一蹴することもできない。そのような状況下にあるのだと思います。


ここで疑問も生まれると思います。では、長門の言っていることは正しいのであろうか?と。長門の言っていることは理路整然としており、その論理に矛盾はほとんど見当たらない。なんとなくですが、長門の言っていることに共感してしまえるのはその論理の矛盾の無さなのではないでしょうか。

しかし何か引っかかることもある。長門の言っていることを正しいとするなら違和感を覚えざるを得ない。なぜか。それに対する答を私はこのように解釈しています。


もともとの核が違う、と。


とある業界の言葉を借りればこの核をハードコア(hard core)というのですが、その周りにプロテクティブベルト(protective belt)というのが存在します。

「理論」というのはこのハードコアとプロテクティブベルトの2つによって構成されているとみなすこともできます。

ハードコアとは、名前の通り理論の核心部となるもので、たとえば「時間は相対的なものである」という単なる理論を指します。それに対してプロテクティブベルトとは、その理論に対する疑問からその理論を守るための理論です。たとえば「皆時間は平等に流れているではないか?」の疑問に対し、「誤差の時間は微小であるため普段はわからないが、光速単位の速さで移動すれば流れる時間は個々で異なる」という定式や実験がプロテクティブベルトにあたります。

アインシュタインが現れるまでは時間は絶対的なものとして扱われてきたニュートン力学が物理の理論として占領してきましたが、相対性理論によってニュートン力学は壊されてしまいました。これはハードコアが崩壊したということになります。つまり、 F=ma がそもそもの誤りだとされたのです。

普通はハードコアは破壊されることはありません。ハードコアではなくプロテクティブベルトを改良するによって様々な矛盾を解決するものです。しかし極偶にハードコアが崩壊することもあるのです。


今までの話がNARUTOとどう関連するんやねんと言う話ですが、ナルト達(木ノ葉)と長門(ペイン)はハードコアそのものが違うということなのです。ナルト達(木ノ葉)は我々が抱いている概念とほぼ同じで、皆が安心して暮らせる平和を、人々が傷つくことのない平和を、誰もが争うことなく幸福であるための平和を目指すためのハードコアを提唱しているのですが、実際のところそれはなかなか実現しにくいものでもあります。プロテクティブベルトをイジイジしてはいるのですが、争いの絶え間ない現実を見る限り有効であったとも言い難い。

そこで長門は思ったのです。ハードコア自体が間違っているのではないかと。苦しむことなく、痛みを知ることのない平和などあり得ないのではないかと。否、痛みを知ることこそ平和なのではないかと。

長門は全人類に共通して持っているとされている平和の概念から抜け出し、新たなハードコアを立ち上げたのです。長門は常々自分を“神”だと称えてきました。

その“神”とは、人の上に立つ存在ではなく“人”を形成しているものとは別の種に依存する、ということであり、すなわちそれは人とは全く違う思想をする、を意味しています。

たとえば、“靴を脱いで部屋に入る”ということは日本では常識とされていますが、外国では必ずしも常識とは限りません。そのものの慣習や考え方そのものが違うのです。それと同じ事で、そもそもの考え方をガラリと180度変えよう。ペインはそのように考えているのだと思います。

今回の話でシマばあさまが宣ているように「そいつが何を言おうがお前は聞く耳を持ったらいけん」というのはまさに正論で、靴を脱いで入った方がいいか脱がなくてもいいかの口論をしたところで結論を導き出せるわけではないし、何よりも戦闘中にそんなことを考えている暇もない。

そこは割り切りが必要であり、シマばあさまみたいに何百年?(笑)生きていれば割り切ることはできると思うのですが、ティーンエイジャーのナルトにはまだちと厳しい。


いろいろと話がトビトビで分かりづらくしてしまいましたが、思想云々を同じ土俵で考えてはいけないし、統一することもできないと言っても過言ではありません。ナルトとペインの戦いはただ単に恨みだの復讐だのというものではありません。これはそれぞれの哲学の戦いなのです。

だからこそ、ナルトには木ノ葉の意志、火の意志を最後まで貫いてほしい。それが木ノ葉全員のためでもあるから。あくまでプロテクティブベルトにこだわって欲しい。 そして負けないでほしい。シマばあさまも言っているようにナルトが負けることは許されない。なぜならそれは哲学で負けることを意味するから。


長々語ってしまいました。まだまだ語り足りないような感じもするのですが、私の筆力の無さのため一貫して伝えることも論理的に組み立てることもできず・・・。考えてみれば今回はヒナタの回であり、ヒナタのことについて何も書いてないのもどうかと(汗)。

月曜日に書き出したのですが、考えて書いていると月曜日中に終わらなかったので火曜につけ足して(それでも不十分)とりあえず投降しておきます。(また後ほど今回の感想を追加する予定です。)


原作の感想 | コメント:3 | トラックバック:0 |

この記事のコメント

| HOME |